こなかった暑い夏
2009年 08月 31日
今年の北緯44度は、8月になってからも夏らしい日々はほとんど訪れませんでした。
扇風機の出番は、曇って部屋干しの梅のためのみ。
夏生まれの私としてはとても淋しい日々でした。
おまけにお盆の頃をピークにしつこい喉風邪をひきずっております。
発熱はなく、食欲も衰えずなのでなんとか乗り切っておりますが・・・
暑さを期待して出かけた札幌も涼しかった。
黄昏時の大通り公園。トウキビ焼きも健在でしたが、もう吹く風は秋・・・
8月18日撮影
翌日、江別にある野幌森林公園の中の北海道開拓記念村へ。
霧雨の中、各所から移築された北海道開拓の歴史を物語る建造物をめぐりました。
何より圧巻は、旧青山家漁家住宅でした。
入ってすぐの土間の左側には中央に囲炉裏ありました。
シルバー・ボランティアの方がいらして説明して下さいます。
かつて鰊漁がさかんだった頃、
ここに春先の3~4カ月、50名近くのやん衆(出稼ぎ漁師)が寝泊まりていましたした。
春先といえども雪解けはまだだったろうし
日本海から石狩浜に吹き付ける風はまだ冷たく厳しい毎日だったことでしょう。
周りにぐるりとある畳敷きのスペースにはたたんだ布団が置かれていました。
この布団、どれも柄違いだった!
まさか古布ではなかろうけれど・・・
一枚一枚もっとよく見てくればよかったなあ。
帰ってから調べたら、この漁場の持ち主青山留吉は、山形県遊佐の出身なのです。
遊佐といえば庄内刺し子が思い浮かびます。
北前船できっと布も運ばれたに違いありません。
向かい側は、青山留吉の家族が暮らしていた部分。
奥にはこんな天井がある場所が。
ここは御不浄でございました。隠されていた贅沢。
鰊は水揚げされると、魚カスと油に分けられました。
魚カスは田畑の肥料に、油はランプなどの燃料となった。
食糧としてではなかったのですね。
こちらは仕事部屋。
青山留吉が鰊大尽呼ばれるほどの冨を得られたた理由はこちら。
北海道開拓村は、昭和58年に開村。
青山家漁家住宅の移築には、約2億円がかけられました。
小樽市祝津には、鰊御殿と呼ばれる青山別邸が、
山形県遊佐町には、留吉が晩年を過ごした青山本邸が残されています。
←旧小川家酪農畜舎。↓旧小樽新聞社。
←旧三河本蕎麦屋(石川県からの移住者)。↓旧近藤染舗(徳島からの移住者)。
8月19日撮影
他にも実際に今でも蚕の飼育を見学できる、旧田村家北誠館蚕種製造所や、
稲藁を使って米俵や雪靴の製造を実演している農村の建物もありました。
野幌森林公園、秋には紅葉がきれいなところのよう。
暖かな陽射しある時にまたゆっくり訪れてみたい。
晴れていたら旭岳へ行ってみるつもりでしたが雲の上のようなので諦めて旭山動物園へ。
←カピパラ。↓ニホンザル。
毎度お馴染みシロクマ。
←もぐもぐタイム中のペンギン。
↓泳ぐペンギン。
タマゴを温め中のぺんぎん。
ペンギンいろいろ。
アザラシ館へも。
←オラウンターのお父さん。
↓母と子(2歳)で棒渡り中。
8月20日撮影
もうこちらでは小中学校の夏休みは終わっていて平日だったせいか前回訪れた時より少しすいていました。
帰りがけに東川の道の駅でお米を購入。
最近とても美味しくなった道産米です。