小樽にて(追記あり)
このホテル、大正12年(1923)に建てられた旧拓銀の建物です。

かつて小林多喜二がここで働いていました。
『蟹工船』1929年を書いた後、『不在地主』を書いたため拓銀を解雇されたのです。
それから68年の後、平成9年(1997)に拓銀は経営破綻しました。
その後美術館になったり、1-2-3ホテルになったり、現在ははヴィブラントホテルです。

2階まで吹き抜けのホテルのロビー。
6本の白い大きな柱。2階には回廊があります。
国会議事堂の設計に携わった、矢橋賢吉の設計。

ホテルに荷物を預けて運河沿いを歩きました。
北運河に向かいました。栄えていた頃の建物がそのまんまに残されています。

北海製罐の工場や倉庫が並んでいます。



人力車のえびす屋さんが小樽にも。




ホテルの部屋。ちょうど運河バスターミナルの真向かい。

ホテルの廊下。

つづく
『蟹工船』はずいぶん前、20代前半に読んだことがありました。
他の作品は読んだことがありません。
今回小樽を旅して、多喜二の家庭の雰囲気を知りたくなりました。
三浦綾子が『母』という小説を実際に取材して書いたそうです。
図書館で探して読んでみようかな。